衝立、襖、障子は建具の総称として平安時代には「障子」と呼ばれていました。
そこから、用途に合わせて衝立(ついたて)障子、唐紙(からかみ)障子、襖(ふすま)障子、
明(あかり)障子などに分かれていきました。
その中の衝立障子の歴史は古く飛鳥時代の記録として、衝立障子が出てきます。
「日本書紀 皇極天皇4年6月(西暦645)1368年前、雨が降りしきり庭に水があふれる中
日よけの衝立障子に隠れていた暗殺者の二人によって蘇我入鹿が暗殺された。」
とあります。いわゆる大化の改新です。 こんなに詳しい記録があることに驚きましたが、
見事な暗殺日和と場所を選んで暗殺させた中大兄皇子たちの歴史に残る見事な暗殺計画・・・
因みに、自分達で直接、暗殺したかの様に教わりましたが、実際は配下の者が殺したそうです。
暗殺者の名前も記録に残っているようです。
と、この様に日本では広間や玄関などに「姿隠し」として、日常品として使われていました。
最近では衝立を置けるような建物が少ないので、とても貴重な物です。
面白い特徴としては風などで煽られて倒れないように重石がわりの足場を付けるので、
うっかり、足の指をぶつけることです。 痛いです><;
好みによって衝立の縁(ふち)や足場の木地や塗りを変えて楽しみます。
金額的には滅多に作らない特殊な物になるので、木地だけでも高いです。
当然、大切に扱えば何十年と使える物です。
仕立て方としては、下記の骨襖(ほねふすま)のや額装と同様に木地に紙を貼り
下地つくりをした後に、上張りをします。
このとき、両面とも表になるので気をつけて貼らないと大変なことになります。
そして、それを衝立の枠にはめて、足場をつけて固定します。
下記の写真は片面のみの作品ですが、当然、反対側もあります。
現在、一般的に使っている襖の形式は鎌倉時代に入ってできました。
それまでは、平安時代に代表されるような寝殿造りといわれる大広間の建物が
多かったのですが、大陸で蒙古の支配が進むにつれ、多くの学者や僧侶などが
平和な日本に殺されるより希望を胸に命を懸けて亡命してきました。
{古代の殷王朝から太公望で有名な周王朝ができた「殷周革命」から、大陸や朝鮮半島では、自分達が権力を手にしたことは全て正しいことであり、敗者である前権力に属する者や支配するのに邪魔な宗教や文化は全て悪である。
つまり前政権を否定すること(=一族や物や文化を抹殺)は当たり前で、自分の権力は正当であることを主張する「易姓改革」と云う伝統文化があり、知識階級は現在でも殺される宿命にあります。}
こうして亡命してきた知識や技術を持つ人々の中から、日本の文化と結びつき新しい思想や
文化が生みだされていきました。
そのひとつが書院造といわれる用途に合わせた小部屋を幾つも作る建築様式です。
部屋の間仕切りとして襖が使われるようになっていき、日本建築が出来上がっていきました。
呼び方としては
本来、貴人の寝所を厚く紙を張ったのを衾(ふすま)障子と呼び、
大陸から渡来した文様紙を張ったものを唐紙(からかみ)障子と呼びました。
現在は一般的に「襖」と呼ばれますが、地方によっては「唐紙」と今でも呼ばれています。
また、現代の襖は、ほとんどが「ベニヤ板の襖」になります。
ベニヤ板に塗装した木枠(縁)をはめて、襖紙を貼ってあるものです。
本来の襖は「骨襖(ほねぶすま)」と言い、屏風、衝立、額と同じように木地を縦横に組んだ
木枠の骨組みに「下張り」といって和紙を片面7層に両面を貼り付けていきます。
骨紙、胴張り、蓑掛け(2層)、蓑縛り、下袋、上袋、その上に襖紙を貼ることになります。
これらの作業の呼び方は関東と関西で違いますが、同じ作業です。
襖が仕上がるまで上張りを入れて合計8回貼ります。両面では16回です。
この作業をすることで、骨組みの中に、空気の層を作り、下張りの紙が湿気を呼吸する
ので室内の温度と乾湿を保ちます。
こうして貼り上がった後に上下左右に縁が付き、骨襖が出来上がります。
この骨襖は軽くて強靭に仕上がり、まさに「スライド式の動く壁」です。
つまり、「動く壁」ともいうべき骨襖で部屋を仕切られた日本建築は、
柱要らずで壁が建物を支える「ツーバイフォー建築」より実は進んだ
耐震構造をもっていました。
ですから、皆さんが、バラエティや時代劇で目にするように襖ごと切ったり、
人が簡単に突き抜けてしまうなんてことは現実にはありえません。
体当たりをしても、はじき返されるだけです。
実際のところ、現在のベニヤ板の襖でも突き抜けるなんてことは無いと思います。
あれは演出効果であって、
壊れない物でも壊せるほどの威力の攻撃を与えることができる主人公
という演出設定です。
確かに襖の特性から穴を開けたり、必殺シリーズの様に相手を襖ごしに刺し殺すことは
できるかも知れませんが、全てはより物語を面白くする為の演出であり、
日本の伝統技術はそんなに簡単に崩ける程、柔ではありません。
もっとも、最近では、小説を含めた時代劇やドラマが史実であると本気で信じている
日本人や外国人が多数いるので、困ったものです。
時代劇などでは日本は昔から階級社会で差別され腐敗した残虐非道な人間ばかりが
いる世界中でも最低の国であるとなっていますが、
史実では緩やかな階級社会で、職業で差別されず、農民が代官を訴えることが出来たそうです。
また、役人が賄賂を貰わない、衛生的で女性の離婚する権利もあったり、
身売りしても契約期間に基づいていたりと、欧米より優れた法治国家でした。
話を戻しますが、この骨襖は丈夫で何十年と長持ちしますが、現在では骨組みの木地と
塗り縁だけでも10万円単位のお金が掛かります。ですから、目にする機会は、ほとんどなく、
寺社など特別な場所にある位で、自宅にあると言う人は相当しっかりした家です。
最近はTVなどで、誰でも簡単に、お金が掛からず、張り替えができるとされていますが、
苦労した方もいると思います。
そして専門職と何が違うといえば、張替え金額に対する労力と材料と耐久性の問題です。
細かく言えば部屋の乾湿機能にも影響があります。
業者に頼むにしても、地元で住所も仕事もしっかりとした業者であれば、
信用問題になるので悪質な仕事はできません。
また、貼り方や値段は表具屋さんや他業種のお店によって違いますが、
基本的な値段の違いは上張りの襖紙によって変わります。
当然、良い材質の材料は高くなります。
あとの違いはどれだけ手を抜いて仕事をするか?ということになります。
私の家ではやったことは無いのですが、襖紙の上にそのまま貼り重ねたり、
下張りをしないで襖紙を貼るなどなど、あの手この手のやり方があるそうです。
また、襖、障子の安い張替えの広告を見て、安いと思って頼んだら、
後日、集金係が来て請求書をみたら、広告以上の金額を請求されて、
地元業者よりも何倍も高いお金を支払うことになってしまった。
ということもあるそうです。 気をつけてもらうしかありません。
このようになっている襖ですが、近年では建物のメンテナンス代も、もったいないとされ、
旧式建築の象徴のように畳や襖や障子の無い、ないフローリングに個室にドアが
一般的な建物になっていますが、
最近では、これまた諸外国の人達の方が、日本の襖は無駄なスペースを作ることなく
機能的に使える上、襖や障子の張り替えをすることで、
建物を傷めず模様替えが出来ると評価されてきているといいます。
現在では10年どころか20年、30年?に1回、襖の張替えをするか?という時代です。
確かにお金も掛かりますが、「案ずるより産むが易し」です。
実際に何年も思い悩んでいたけど、思い切って張替えを頼んだら、わけなく出来て、
金額も日数も思ったより掛からず、清々して楽な気持ちになった。
なにより、部屋が明るくなった事で気持ちが明るくなった
という方も大勢います。
考え方の違いですから仕方がありませんが、外食や飲みに行くのを1、2回控えて
綺麗な明るい部屋で暮らすか?どうするか?という位の違いです。
張替える前の襖です。
恐らく20年以上経ってます。 |
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襖紙を剥がすとベニヤ板のもあります |
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骨襖の場合組子に
なっています。 |
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骨襖の下地つくりの一部の写真
1、骨紙は木地に紙を貼る作業です。お店により多少、手順や使う紙が違います。
2、蓑掛けという作業は、ベタ貼りと云う工程の後に昔の雨具である蓑笠のように、紙を
段違いに重ねていくことで、紙と紙の間に空気の層を作ることで保温性と耐湿性を
増して、部屋の中の湿気や臭いを吸収します。大抵は2枚重ねです。
3、下袋と上袋は蓑掛けの後にもう一度ベタ貼りをしてから一番上に張る上張りと骨組みに負担を掛けないで長期間の乾湿に耐えて綺麗に張る為に紙の回りだけに糊を付けて貼るので
二重のクッションになります。
紙が重なっていくのをわかり易く見せる為に、写真3を用意しました。
その後、ふすま紙を貼っていきます。
前述のとおり、障子は部屋の間仕切り建具の総称でした。当然、窓ガラスも無かったので、
昼間の陽光を大事にしていました。その陽光を取り入れ快適に過ごす為に工夫され季節ごとに
風を通す絹を貼ったり、和紙を貼りました。
同時に障子がフィルター代わりに、埃や臭い、現代では
外からの排気ガスなどを吸収する空気清浄機の役割をしてきました。
そんな障子ですが、最近は建築様式の変化で見たことはあっても触ったことが無い人が
普通になってきました。
この障子も日本建築の一部なので当然、建築様式があり、寺社や商家など建築様式によって
障子の升目の形が違うので、建具を見れば、どういったお店なのか昔はわかったそうです。
これらを作るのは建具屋と言い、こちらも絶滅危惧職業なので、本当の仕事を受け継いでいる人は
全国でも何人いるのか?って感じです。
他業種のことなので、詳しいことはわかりませんが、本来は緻密な計算によって
障子の桟の太さや升目の大きさを割り出して美しさと実用性を兼ねた力学と
最先端のエコの粋を極めたものでした。
つまり、人間工学に基づいた全国統一規格寸法の建具と障子紙を使いながら
紙の引っ張る強さに負けず、いかにケチらず無駄なく材料を使い美しく見せるかという事でした。
それだけに昔は家にお金があることをさり気なく見せる為に商家などが建具に良い木地を使ったり、
ただの大きい四角のマスでは無い芸術的な組子の建具を作らせて使っていました。
現在は皆さんもご存知のように時代の流れで、コスト削減で良い国産材は使われなくなり、
値段が全てなので、あの手この手で安く仕上げる為に外材を使い、薬品を使います。
専門職が作らないので丈夫で美しく見せる割り出し計算も知らない上、材料をケチるので
規格外の寸法になり、余分に障子紙を使ったり、見た感じもどこかバラバラになります。
それでも初めは綺麗ですが、張り替えたり、年月が経っていくと木地が色々と酷くなっていきます。
この時、始めて仕事をした人の技術と仕事に対する誠実さがわかります。
つまり、国産の木材の方が耐久度が高いということです。
本当に良い木材で頼みたい方は、余程、しっかりした老舗の工務店や大工さんに頼まないと、
手に入らないと思います。
次に障子に使う障子紙ですが、和紙全体に言える事ですが、用途に応じた専門の和紙が
あります。障子には「内山和紙」と言うように昔は決まっていました。
ですが、商事会社などの大企業の工場経営によって皆さんが見たことある大抵の和紙は
ぶっちゃけ、和紙という商品名の紙です。また、本当に職業として和紙を漉いている人はこちらも
絶滅危惧職業で極わずかです。当然、値段もそれなりですが、
地方の和紙会館などで漉かれている和紙とも紙質が違います。
また、現在では科学的に証明されていますが、昔から酸性やアルカリ性なども考慮して
紙が漉いてあるので、年月が経って酸化した後も落ち着いた温かみのある雰囲気を保ちます。
最近では特産品のブランド化により、とても高い障子紙になってしまったので、普通に使うことが
難しい状態になっています。ですので、業者でも、ほとんどパルプ紙を使っていると思います。
まぁ、そのパルプ紙にも当然ランクがあるので、お店や商品によって値段と材質が違います。
「破れにくい障子紙」のように石油からできた障子紙もあります。
それと、障子の張替えをすると糊が付いた桟の所が茶色くなってしまうことがありますが、
これは、糊が原因ではなく建具の木地から出てくる灰汁(あく)が原因なので仕方の無いことです。
本来の建具に使う国産の木地と手漉き和紙なら、灰汁は出てきません。
そもそも、灰汁は木材の材質と加工する段階で生じる繊維の痛みなどでが
原因なので如何しようもないです。
こういう原因もあるので、お店によっては様々な仕事のやり方があります。
当店のように木地を全部濡らして雑巾で何度も拭いて木地の汚れも落とす家もあれば、
桟(さん)の所だけを濡らして紙を剥がして、他は拭かずに貼るとか、
灰汁が出ない糊(のり)というより接着剤に近いもので貼るなど、仕事内容も様々です。
まして、自分でやったり、他業種の人達が安く仕事を請け負っているので
値段も仕事も材料もピンきりです。
なんにしても、自分が信用する人を通して仕事をしてもらうしかありません。
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